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「知らなかった」じゃ済まされない。フィリピン移住前に知っておくべきこと【歴史編】

フィリピンの教会

フィリピンには、数千年にわたる複雑な歴史があります。その主な歴史的出来事を簡単にまとめてみました。
これを知っておけば、フィリピン人との交友関係もぐっと深いものになるでしょう。

こいつ、フィリピンのこと、ぜんぜんわかってないな・・・

なんてことを言われないよう、最低限の歴史くらいは知っておきたいですね♪

目次

植民地時代以前(16世紀以前)

この時代のフィリピンも見てみたかったなあ

フィリピンの植民地時代以前は、独自の文化と言語を持つさまざまな先住民族が存在していました。彼らはそれぞれ、東南アジアや中国、さらにはインドや中東といった近隣の国と交流を持ち、貿易などを行っていました。

当時のフィリピンには、数多くの小王国や公国が存在し、それぞれの社会や文化を築いていました。植民地時代以前の社会で最もよく知られているのは、タウシュグ族、マラナオ族、マギンダナオ族、イロカノ族、タガログ族、ビコラノ族、カパンパンガン族などです。

この頃のフィリピンの人々は、音楽、舞踊、芸術など、豊かで多様な文化を持っていました。また、アニミズム(信仰体系の一種)や祖先崇拝、ヒンドゥー教や仏教の影響を受けた独自の宗教観や習慣も持っていました。

また、農業、漁業、手工芸にも長けており、近隣諸国と貿易や文化的なつながりを持っていたのです。

スペイン植民地時代(1565-1898)

欧米列強の負の遺産って、あまり問題視されないですよね・・・

1565年、スペインの探検家ミゲル・ロペス・デ・レガスピがフィリピンに到着し、セブ島に最初のスペイン人居住地を築いたのが、フィリピンにおけるスペイン植民地時代の始まりです。その後3世紀にわたり、スペインは支配を拡大し、国中に教会や学校などの施設を建設していきました。

スペインの植民地化がもたらした最も大きな変化のひとつは、フィリピンにキリスト教が導入されたことです。スペインの植民地化によって、フィリピンの人口の大半はカトリックに改宗し、現在でもフィリピンの主要な宗教となっています。

また、スペイン植民地時代には、スペイン人入植者を頂点とし、フィリピン原住民を底辺とする厳格な社会階層が確立された。スペインの支配者は独自の階層制度を導入し、先住民のフィリピン人は、保護とキリスト教布教の代償として、スペイン所有の土地で働くことを余儀なくされてしまったのです。

フィリピン人が「サー」や「マム」といった呼称を使うのは、この時代の名残だともいわれています。

スペイン植民地時代は、フィリピンの言語と文化にも大きな影響を与えました。スペイン語は教養あるエリートの言語となり、多くのスペイン語の単語やフレーズは、いまでもタガログ語の一部として使用されています。また、スペインの影響は、建築様式、音楽、料理などにもみることができます。

1898年、フィリピンはスペインからの独立を宣言し、スペイン植民地時代は終わりを告げました。

アメリカ植民地時代(1898-1946)

こんな歴史がありながら、アメリカと友好関係にあるなんて。

アメリカによるフィリピンの植民地時代は、1898年、米西戦争の後、アメリカがスペインからフィリピンを奪い取ったことによって始まりました。アメリカは当初、フィリピンの独立を約束しましたが、その代わりにフィリピンはアメリカ領となり、アメリカ総督府によって統治されることを余儀なくされてしまいました。

アメリカの植民地支配の下、フィリピンは政治的にも社会的にも大きな変化を遂げました。アメリカは公的な教育制度を導入し、アメリカの制度を手本とした民主的な政府を樹立しました。英語は学校の教育における主要言語として導入され、政府機関の公用語となりました。

アメリカの植民地時代には、フィリピンの経済にも大きな変化がありました。アメリカは近代的な機械や設備を導入し、農業を始め、道路や橋、港などのインフラを整備しました。しかし、これらの開発は、主にアメリカの利益のために行われ、フィリピンの資源や労働力を搾取することにつながっていたのです。

フィリピンにおけるアメリカの植民地時代は、紛争と抵抗にも見舞われました。フィリピン革命軍とアメリカ軍の間で争われた米比戦争(1899~1902年)では、数万人のフィリピン人が犠牲になってしまいました。

このような時代背景にもかかわらず、フィリピンの社会や文化には、英語の普及やアメリカの大衆文化の影響など、アメリカによる植民地支配の影響がまだ多く残されています。

日本統治時代(1941年~1945年)

ここ大事です。

日本のフィリピン占領は、1941年、日本が東南アジアでの大日本帝国拡大作戦の一環としてフィリピンに侵攻したことに始ままります。日本による占領は、フィリピンが連合国軍によって解放される1945年まで続きました。

日本軍の占領下では、大量殺戮、拷問、強制労働など、現在の日比の交友関係からは想像できないような人権侵害が行われました。また、日本軍は厳しい検閲とプロパガンダを行い、フィリピン人に日本語の習得と日本の習慣を取り入れることを強制しました。

日本軍の占領下で最も重要な出来事のひとつは、1945年にアメリカ軍とフィリピン軍と日本軍の間で行われたマニラの戦いです。この戦いで数千人の市民が死亡し、街のインフラの多くが破壊されてしまいました。

日本軍の占領は、フィリピン経済にも大きな影響を与えました。日本軍は鉱業や農業などの産業を手中におさめるとともに、フィリピン人を工場や鉱山などで、過酷な条件下で働かせていたのです。

このような日本軍の行為にもかかわらず、この時代には抵抗や英雄的行為も見られました。フィリピンのゲリラは、アメリカ軍やフィリピン軍の兵士や捕虜のために、命がけで日本軍と戦ったのです。

1945年、アメリカ軍を中心とする連合軍がフィリピンを解放し、日本の占領は終わりを告げました。

戦後(1946年~)

経済成長と貧困問題は表裏一体ですね・・・

フィリピンの現代史は、1946年にアメリカから独立したことに始まります。それ以来、フィリピンは政治、社会、経済の面で大きな変化を遂げました。

フィリピン現代史の中で最も重要な出来事のひとつが、1986年のエドゥサ革命です。市民団体が主導し、カトリック教会が支援したこの平和的な革命は、フェルディナンド・マルコス大統領の独裁的な政権を打倒し、フィリピンに民主主義の新時代をもたらしました。

今、息子さんが大統領になりましたね

1980年代以降、フィリピンは著しい経済成長を遂げ、東南アジアで最も経済成長率の高い国のひとつとなりました。しかし、この成長の恩恵は均等に分配されておらず、貧困と所得格差は依然としてフィリピンの社会問題のひとつとなっています。

近年では、フィリピンはIT分野の成長が広く知られるようになり、マニラをはじめとする都市は、ITビジネスのスタートアップやアウトソーシングサービスの拠点として、注目を集めています。

わたしが日本語を教えているIT企業も、IT技術者を大量に輩出しています。

しかし当時に、汚職や政情不安、人権侵害など、大きな社会問題も抱えています。一方、多くのフィリピン人は将来を楽観視し、より豊かで公平な社会の構築に向けて努力を続けています。

まとめ

フィリピンの歴史を理解することは、その社会性や文化、伝統、生活習慣を理解することと、大きく関係しています。フィリピンに移住するなら、歴史的な背景を理解し、文化や習慣を尊重しながら、暮らしていくことが大切なのです。

フィリピンとは暗い歴史もありますが、大事なのは未来。

移住するなら「フィリピンの未来に貢献できる」なにかを見つけましょう!

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